Codex Microと勘所
Codex Microを買った。OpenAIのいろいろをやってくれるアプリ、Codexのお供になるミニキーボードのようなものだ。
ノブがついていてグリグリできたり、作業が終わったスレッドに対応するキーが緑に光ったりと、男の子心をくすぐる最高のお供だ。極めつきは、ひときわ大きなマイクボタンと、その横にある送信ボタン。マイクボタンを押し続けて話すと文字になり、横の送信ボタンを押せばCodex君が頼もしく動き始める。それをクリック感のある物理ボタンで操作できるのだから、気分はもうウルトラ警備隊の管制室だ。いつも画面の中に閉じているやり取りに、触れられるデバイスが仲間入りすると、こうも体験が変わるんだなという発見がある。高いけど、いい買い物だった。
ということで、Codexに慣れようと、いろいろ作りたいものを作ってもらっている。Twitterで見かけた英語の技術解説記事を、日本語でわかりやすい自分用の解説ページに仕立ててもらったり、ローカルで学習や実行ができる規模の将棋AIを作ってもらったり。
自分に勘所がある領域なら、指示もそれなりに適切に出せる。途中までできあがったものにも打ち返しができて、比較的満足できるものに仕上がる。一方で、自分がまったくわからない領域に欲しいものだけがあると、けっこう悲惨なことになる。将棋AIが最たるものだ。作業プランを出してもらっても、「とりあえずやってみて」と強がって伝えるしかない。作業中は、もはや呪文が並ぶ画面を眺めながら待ち続けるだけだ。勘所がないと、途端に言いなりになるしかなくなる。できあがったものも、なんだかイマイチ。でも、どこを直せばいいのかもよくわからない。
エキスパートとまではいかなくても、指示やチェックの勘所がわかる領域では安心感がある。類似した領域での経験から、「こういうこともできるはず」と見当をつけながら進められる。作業をブラックボックスにしないためには、結局のところ、自分がわかる領域を広げて深めるしかなさそうだ。がっかりしつつ、少し安心もしている。不思議な気持ちだ。
そう遠くない未来には、そういう勘所もAIが持つようになるのだろうけど、しばらくは経験や学習が報われそうな気がしてる。そっちのほうが好きだな。