目的と手段

キャリアは短いながらも、いくつかの会社を渡り歩いてきた。会社ごとの運営の仕方の違いが勉強になっている。

会社の運営には、大きく二つのタイプがあった。一つは、会社の目的をミッションとして短文にまとめ、最低限のルールだけを置いて手法は任せるタイプ。もう一つは、目的を明確に定めず、ルールを多めに配備して個々の行動をコントロールするタイプ。

前者は、構成員としては指針が明確で、自分で判断する場面が多い。過ごしやすいし、貢献している感覚も得られやすいので、精神の健全性にはとても効いていた。他方、運営する側からすると悪夢だったはずだ。ミッションから外れるとも解釈できる施策には構成員からでも容赦のない異議が挙がるし、事業環境の変化に合わせてミッションを更新しようものなら、それを精神の拠り所としていた社員から大バッシングが起こっていた。自分で考える余地があることは主体性の高い人には合うが、そうでない人ももちろんいるので、採用する人員のタイプによっては苦労する環境にもなる。

逆に後者は、運営が楽なのはもちろん、主体性が低い人員にとっても過ごしやすくはある。ただ、目的が不明瞭なので自発的な発想や行動は生まれにくく、ルールそのものを目的化する動きも多くみられた。運営側が健全に機能するならば、構成員は従順に動いてくれる方が合理的だし、それも一つの形態なのだと思う。

どちらの組織も、時代の要請か、より中庸に寄せる動きがあった。前者は、より効率的な運営を求められ、自主性を発揮できる領域をトップダウンで制限するようになった。後者も、競争が激化する中で、現場の実情を反映したボトムアップのアイデアを求める流れが見て取れた。ただ、そういう意向があることと、組織が変われるかは別の問題だ。抑えつけるのは極論、無理矢理にでもできる。主体性を育んで発揮させるには個人と組織の双方が変わる必要があって、人の入れ替えを強制できない日本では、ことさら難しそうだった。

自分の傾向としては、目的が明確で、合理的な判断がなされる組織が心地良い。ゲームとして、何をしたらクリアかが明確だし、その過程を無駄に縛る非合理なルールは少ないほど心が楽だ。

以前ツイッターで見かけた話を、最近よく思い出す。RPGでは魔王を倒すことが目的になりがちだけど、本来の目的はこの世に平和をもたらすことのはず、という話。

魔王倒したくなるよね。わかるよ。

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